あと8,459日が私の希望の余命です。
初めてご覧になる方にお知らせしておきますが、私は64歳になる後期壮年者(自分で作った言葉)ですが、あと8,459日後の2045年11月15日(水)にこの世を去ることができればいいなと思っている変わった人間です。
本日は「敬老の日」とかいって老人を敬う日だそうです。
老人ていうのは一般的に高齢者のことだと思いますので私はまだ高齢者ではありませんので本日誰からも敬ってもらうことはできません。
でも来年は私も65歳になり晴れて高齢者の仲間入りです。75歳以上を「後期高齢者」というのだそうですから私はやっと来年「前期高齢者」の仲間入りをして敬老の日を祝ってもらえそうです。
私が子供の頃の65歳と言えば間違いなく老人でした。今の65歳ってやっと会社から解放されてこれから自由を謳歌しようなんて言う惨めな年齢ですよね。
その昔、といってもせいぜい30年くらい前は55歳で定年退職して、早速年金受給して老後を悠々自適で楽しんでいられたんですよね。
今の老人は大変ですね。60歳で定年かと思っていたら給料大幅に減額されて昔の部下に使われて、「やならやめろ」って言われて我慢の積み重ねですよね。
でも私たちの年代まではいいですよね。我慢を積み重ねてきたから。我慢することなんか当たり前と思って育ってきたから。
これからは大変ですね。我慢なんてしたことがない。自分の思った通りに生きていけ。なんていう訳のわからない教育を受けてきて、いざ65歳になってみたらこの有様ですから。
それでも私たちの同年代であれば大丈夫です。
「我慢」
を知っていますから。
何があったって我慢すればいいんです。
腹が減っても我慢する。
友人が自転車やおもちゃ買ってもらっても我慢する。
親の収入が少なくて上の学校に行けなくても我慢する。
・・・・・・
今の世の中、我慢することなんて無いんだから。
何でも与えればいいってものではありません。
貧しさだって立派な教材です。
それをどう活かすのかは本人次第でしょう。
話が「敬老の日」から離れてきたのでこの辺で終わりにします。