あと8,468日 なぜ私が87歳で命を閉じようとしているのか

 私は2045年11月15日に命を閉じようとしています。

 私も生身の人間ですからその日に予定通り生命を閉じることができるかどうかはわかりませんが、とりあえずこの日までは生きていたいなと思っています。

 なぜ、あと23年なのか。

 過去のブログにも書いたことがあるかもしれませんが、その理由は

1 実父が86歳で命を閉じたのでそれより1年は長く生きて最後の親孝行をしたいか   

 ら。

2 2045年は戦後(第2次世界大戦)100年になるので戦後の日本の復興とその  

 後の衰退を自分の目で確認したいから。

3 自分が手がけた事業が2044年に終結するのでその結果を確認したいから。

 

というのが大きな理由です。

 

 それ以外にも2045年には私の長男が60歳、次男が58歳、孫が31歳になります。

 いずれは子供たちに我が家の後継を任せなければならなくなるのですが、長男が60歳になったときに私が主導権を持っていたのでは子供たちは自分自身で判断ができなくなります。

 87歳になった自分には適切な判断はできなくなるだろうし、私がいたのでは子供たちは私に遠慮をして自らの判断ができなくなると思うのです。

 

 幸か不幸か私は30代で家のことを任される立場になりました。平成の初頭で不動産バブルが崩壊した前後です。数十億円に上る不動産の運用を任されました。当時サラリーマンをしていた私には不動産の運用について右も左もわからず右往左往するばかりでした。そんな中で適切な助言くくれるビジネスパートナーが現れギブアンドテイクの関係を保ちつつ現在があります。

 

 私が自分の判断で現在を築くことができたのも早くして自分自身で責任を持って判断できる立場にあったからだと思うのです。

 

 子供たちは子供たちの価値観で判断してほしい。

 

 私の価値観は戦後の日本の高度成長の中で育った価値観です。

  努力すれば報われる。

  働かざる者食うべからず。

 両親からはこんな無言の教えをたたき込まれてきました。

 努力すれば報われる。正にその通りでした。

 努力すればしただけ幸福感を得ることができました。

 

 仕事をしなければ食べていけない。生きていけない。

 子供を育てるためには自分が食べるものを我慢しても子供のために親は働いた。

それが私の価値観です。

 

 今の日本は違います。

 努力しなくても生きていくには心配はありません。

 仕事をしなくても国が生活の面倒を見てくれます。

 収入がなければ医療費もかかりません。

 

 話は飛びましたが、高齢者は社会に甘えてあまり長生きしない方がいいという私の考え方です。

 

 これからも昭和に生きた私が今の世の中に言いたいことを書き続けていきます。

 

 昭和を30年、平成を30年、令和を27年? 生きていこうとする私の意気込みです。